2012-04-24

はやてとともに

東北新幹線「はやて」が、福島県を走り抜けていく。
 車窓からは満開の桜がところどころに見え、桜前線はまだ東北にあることを改めて確認する。千鳥ヶ淵の満開の桜の下で京樽のお弁当を食べたのは、なんだかもうかなり昔のことのようにも感じるけれど、東北ではまさにこれから、なのだろう。もちろん全ての東北の人が笑顔で桜を愛でることができるようになるまでは、まだ当分時間がかかるのだろうけれど。

 会社を辞めることにした。いままで月に1~2回の頻度で宮城へ出張していたのだけれど、この会社の用事で宮城に出張するのは今日が最後ということになる。そう思うとこの一心不乱に東北の大地を駆け抜ける、「はやて」号でのいくつかの思い出が呼び起こされるのである。

 現在通っている、ビジネススクールの合格を知ったのも「はやて」の車内だった。PCから合格者リストの中に自分の受験番号を見つけた時は、「はやて」の中で一人小さくガッツポーズをした。そういえばそんな幸せ気分で仙台に着いた後、奮発してランチに米沢牛の焼肉を食べたんだったなあ。一仕事終えた後、東北の海の幸や地酒を必要以上に堪能した後、あわてて飛び乗ったぼくをあっという間に東京に運んでくれたのも「はやて」だった。

 そして忘れもしない1年前の3月11日、ぼくは宮城県であの震災を経験することとなった。地震直後は正直なところ、もしかしたら今の地震で新幹線も止まっちゃっているかも、というくらいの認識だったのだが、時間がたつほどに早期復旧が絶望的であることを思い知らされた。「はやて」に乗れば1時間半ほどの東京-宮城間も、新幹線なしには無限にも感じられるほどの距離があることをその時初めて実感した。その時は結局タクシーで10時間、10万円ほどかけて帰京したのだけれど、その時ほど「はやて」のありがたみを感じる道中はなかった。

 最近「はやて」には「はやぶさ」という弟分ができたらしい。格好よく快適なライバル登場に、「はやて」は自分、頑張るだけですから、と愚直に北の大地を駆け抜けているようにも見える。ぼくも若者には負けないように、次の仕事も見つけないとな、と思っていたところで、車両はスピードを落としつつ緩やかに左にカーブを切った。仙台駅が近いようだ。さて取り急ぎランチは牛タンか寿司かはたまた米沢牛の焼肉がいいかを決めなければいけないので、この文章はひとまずこのあたりで。