2011-05-12

ユニクロ柳井会長講演01

 本日の「早稲田会議」でユニクロ柳井会長の講演がありました。
 その内容につき、記します。

………………

 背が低いものですから、だいたいマイクを前倒しします
 柳井です、よろしくおねがいします

 わたし、紹介ありました通り、40年前卒業させていただきまして
 優等生ではなく劣等生で
 今日私が尊敬している本田総一郎さんの親友である井深さんのホールで公演できるのは光栄であり感激しています
 内田先生との対談も楽しみにしています

 今日ですね、我々のグローバル戦略についてお話ししたいと
 第一に、私1か月前に上海と北京に行って
 その時、大震災後だったので、今までに感じていなかったことを感じました
 どういうことかというと、特に北京、今までと全然違う
 高層ビルとか再開発とか、碁盤の目のような大きな道路
 新しい大都市とはこういうものかなと初めて思いました
 それまでは単に大きい都市と
 日本に帰ってくると、街が真っ暗なんですね
 なにか古いなと
 なにか昭和を感じさせる
 震災ということで自粛していたので電気を使わない
 町は電気がないと街にはならないんですね、これ
 これはちょっとまずいなという

 それと同時に、アジアの中心は東京でしたが
 北京上海香港シンガアポールに移るのではという危惧を感じました
 われわれの会社、外国人の人が多いが
 出国して日本に帰ってこない
 外国のテレビでは地震と津波と原発という3連発で
 日本は終わりだみたいな
 そういうことがあったので
 特に若い人のご両親が
 直接本人や会社に電話かけてきて、とりあえず帰って来いと
 西欧人は地震の経験がないので
 地震があった瞬間に帰ると
 止められないということになりました

 次のところですが
 不景気になって日本がメルトダウンする可能性が出てきたというのと
 日本人と、日本の企業が救済を受ける生活保護世帯になる可能性が強いと感じました
 商業をやっている人間は、活気を出して元気よくやっていかないといけないということと
 起業、個人としてはどんなときにも生き残らないのといけない
 そのためには世界に出ていかないと、成長できないのと
 世界に出ていくには突出したものがないといけないと感じました
 
 3.11は岐路ということですが
 日本はそういう国になるのか、世界で成長できる新しい日本企業、日本人になる岐路なのではないかと思いました
 より具体的にいうと、15年前くらいから、ひょっとしたらヨーロッパのポルトガルのようになるのではと思っていました
 でもひょっとしたら英国病を脱した英国のようになる
 あるいは0から建国して日本を先生としたシンガポールのようになる
 あるいはまったく別の国になる
 恐れを感じていまして

 やはり清くつつましやかに生活をしたらいいんじゃないかというのが若い人に広まっていて
 本当にそれでいいのかということですね
 競争しない個人、頑張らないきかた
 競争することは遅れているんじゃないかと思われているので
 本当にそうですかと
 起業がほんとうに内向きになっている
 首相が1年交代で変わったり
 明確な方策が打ち出せない行政
 実行力が劣ってきているのではないかと
 我々の国は官僚社会主義国家
 建学精神と全く逆になっているのではと
 もう一つ残念ながら、じり貧で安定した日本はあり得ない
 静止した日本はあり得ない

 その次のページ、世界に出ていかないんじゃないかと思います
 二十何年間、我々は眠っていたんじゃないかと
 ヒトモノカネ、果たして日本にあるのか
 日本だけで十分なのか
 世界に出ていかないといけないんじゃないかと思いました
 どうしてかというと
 皆さんも認識されているように、長期の停滞
 90年代以降停滞している
 バブル前に停滞していることもあった
 バブルは成長しているようにとらえられるが成長ではなくて
 価値の膨張が起きたんじゃないかと思う
 その時分から凋落を始めた
 でも20年はあまりにながい
 日本はすごいいい立地にある
 アメリカとアジアの中間
 でも立地を活かしていない
 昭和が終わってもう23年
 後ろの大学生の方が成人になる前から昭和が終わっていて平成になっている
 でもだんだんラテン民族に近づいてきたのではと僕自身思います
 ものすごくおとなしくて保守的でアシタマニアーナの国になってきたのではと思います

 世界は超情報化社会を実現し終えている
 それが現在じゃないかと思います
 1980年代、あるいはその前にPC、こういうものが作られて
 当時の我々世代かそれいこう、すべての人の指先にコンピュータを、そういう夢が実現した
 いまはスマートフォンとか、そういうもので世界中のあらゆる情報にだれでもアクセスできる
 そういう世の中になったと思う
 
 アジアの時代なんじゃないかと思います
 ヨーロッパで工業革命が起きて、米国に行ってフロンティア
 東から西に行って、それが日本に来て、どんどん西に行ってアジアへ行っている
 発展途上国の世界への影響力が強くなったと思う
 安定しているのは日本だが、古い日本はまだあるんじゃないかと
 文化の面ではいいが、ビジネスの面ではまずいと思います
 村社会とかなあなあ主義とか
 規律とか向上心がないとか
 世界を知らない、知ろうとしない
 完全にグローバル経済になっていると思うが、認識している人が、自分のこととして
 自分で行動する人が非常に少ないと思う

 自己保身ということで
 これだけ書いていいかと思ったが
 東電とか聞いていると、自己保身以外の何物でもない
 この国の行政はどこにあるのか
 企業で大事なチェックアンドバランスができていないんじゃないか
 正しいとはどういうことなのか、ができていない

 日本人のDNA、ここにかいてある忍耐心とか真善美、利他主義とかチームワークとか
 日本人のいいところを、もっと強くしないといけないと思う
 グローバル化する、特に日本人と日本人企業がするということは
 強い点をより強くする
 といったことじゃないかと思いますし
 悪い点が出ないように

 戦後、バブルがはじける前からそうだったが
 日本人がかなり物質主義になってきたともう
 ぼくが、早稲田に入学することが、おぼっちゃまといわれるとむかっときたが
 いまは、ポパイとかホットドックとか
 おぼっちゃまとかお嬢様がほめことばになっている
 こういう世界はないんじゃないか
 旦那商売というか、番頭さんが仕切るほうがいい
 オーナーが経営するほうがビジネスはいいと思う
 安心安定安全、こういことばかり求めすぎたと思う
 変化しないことを前提にしている
 これはよくない
 企業は変化することが前提じゃないといけない
 勇気とか改革とか妥協しないこと
 本音で意見の対立、を恐れないこと
 僕もその傾向があって気を付けているが
 相手に合わせて対立しないんですよね
 現実は直視して、課題を解決しないといけない
 ビジネスは課題を解決することだと思う
 
 我々の目標は、世界で一番早くグローバルのリテイラーになりたい
 3年後くらいじゃないとできないと思うが
 毎年世界中で大型店舗を300点作っていきたい
 来年新入社員1500人とる
 日本人は300人。いままでも300人とってきた
 いま目の前にすごいビジネスチャンスがあって
 日本の市場の何十倍
 であれば外国人の社員を採用しないといけない
 そういう人々が1200人
 くらいは取っていかないといけないと思う
 
 いまグローバルワン全員経営を上げてやっている
 日本のいいところを表している言葉だと思う
 日本文化の一つのいいところは、あらゆる文化、昔は中国の、で、明治以来ヨーロッパ
 戦争が終わって米国の、あらゆる文化を知っている国民はあまりいないとおもう
 こういうことができた、すごいDNAだと思う
 グローバルで一番いい方法でやっていきたい、それがグローバルワン
 全員で経営していこうと
 日本はヨーロッパや米国と違い、階級がない
 ヨーロッパや米国では、自分はどの店、どのブランドというのは、クラスを象徴する
 日本はそれがない
 それと、グローバル化しようとしたら
 真剣さと、相手を思いやる。矛盾するんですが
 文化をつなぐのは矛盾することを両立しないといけない

 前期売上高が100億USドル
 8200億円
 経常利益は15億USドル
 1200億くらいの会社でした
 全世界の、ユニクロ以外のビジネスもありますので、2200店舗
 従業員が4万7千人
 日本中国韓国台湾シンガポールマレーシア英国フランスロシアアメリカ
 フランスと英国に企業があって
 ユニクロとかGUとかセオリーとかコントワーデコトニエ、プリンセスタムタム
 GUは世界で一番低い価格で売るという業態
 セオリーはユニクロの10倍くらいのプライス
 元々NYの企業で
 アメリカと日本で半分半分くらい
 アメリカのデパートで一番売れているブランド
 コントワーデコトニエはヨーロッパで300億くらい
 婦人だけなら非常に著名なブランドで、パリの人は皆知っている
 プリンセスタムタムはランジェリーブランドで、パリ中心100店舗
 
 我々の目標に入る前に
 お手元に経営理念の裏側に、商品と経営に対する思いがあると思うが
 なぜ今こういう思いみたいなことを言うというと
 グローバル化はこういう思いを世界中に伝えるということなのdえ
 我々がどういう思いで商品とか経営をやってきたかを話したい
 今でもカジュアルは若い人の流行だけのチャラチャラした安い服
 安物の服みたいにとられているが
 本当は違うんじゃないのか、打ち破ろうと思いました
 流行や小手先のデザインよりも、日常を楽に過ごせる老若男女が切られる普段着がいいと思いました
 エルメスとかヴィトンとかブランドの服と、ノーブランドの安いんだけど悪い服
 2つあると皆さん思っていて
 これを打ち破ろうと
 安いんだけれどやっぱいい服、本当にいい服を作ろうと思いました
 生産物流販売、自社ですべてをコントロールしないといけない
 絶対に手抜きなく、手間暇かけてやろうと思った
 われわれほど真面目に服を作っているところはないと思っている

 日本発で出ていこうと思ったら、西欧人と違う考えをしないと思う
 もともと着物の文化なんですよね
 服は伝統に裏づけらえている。あるいは文化に
 では日本文化はどういうことなのか
 われわれは後発で、追いつくにはどういうことを考えたらいいのか
 こういう風に考えました
 服に個性が必要なのか
 個性とは人に会って、服はそれを着る人が着こなして初めて個性が出る
 コーディネートの一環としての服
 あらゆるブランドにあう服を作ろうと思った

 昔、びっくりされるかもしれませんが
 繊維は日本の基幹産業だった
 繊維の技術はいまだに日本が世界一だと思う
 日本の強みは技術
 技術はあるが、商品化する、マーケティング、ビジネスにする、システムにする構築力は日本人は足りない
 ユニクロを作った時分、アメリカのベンチャービジネスが勃興している時分でしたので
 ベンチャーのように大成長できる
 シリコンバレーで今のグーグルもそうだと思いますし、アップルもMSもシスコも
 同じように我々も成長できるのではと思いました
 彼らはアメリカだけじゃなくて、世界中を対象にして
 世界中でスタンダードを作ろうと
 我々もできたらそういうことをやってみたいなということで

 そこでこの我々の目標は、いま世界のだいたい4位
 H&M、GAP、ZARA、その次
 できたら世界一になりたい
 数字でいうと、こういうことかというのが、
 4万7千人の社員とやるには行き先がわからないといけないので
 そのために、世界一ということは世界中の大都市で存在感がNo1
 ラグジュアリーブランドはそうですよね
 銀座でもパリでも上海でもシンガポールでもそうですよね
 存在感がNo1になる、こういうことが必要だと思った
 今から成長していく
 いまも成長しているが
 10年たったらアジアの国々は様変わりだと思う
 アジアで圧倒的なNo1になりたい 
 世界でNo1になるというのは、今はヨーロッパや米国の企業だが
 アジアの会社がNo1になる時代だと思う
 そのためにはアジアの中に深く入っていかないといけない
 ブランドはその国の文化の背景がある
 そのためには日本で断トツでNo1でないといけない
 日本でNo1じゃない企業が海外に行っても存在感がないと思う
 日本でNo1,アジアでNo1、世界でNo1になるというのをやっていきたい

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