2011-07-02

青山氏講演/報道のタブーについて

学生質問「与えらていたのは保安院が経産省傘下にあるために機能をはたしていなくてみたいな質問だったが
  感覚に沿った質問をしたい
  私自身は被災地に踏み入れていないが
  いまある報道じゃなくて
  現状を知ったなというのが、新聞にのっていたルポ
  ずっと死体の話をしている
  今の報道は言っていないことが多すぎると
  言えばいいというのも違っていて
  影響力も考えないといけない
  子供が死体の映像を見たらどうかというのもある
  ただショッキングというのだけで隠しているのではないか 
  そこを伺いたいと」

・(昔勤めた)共同通信で日本の記者の矛盾に本当にぶつかった
 タブーが多すぎるんだよね
 法で定めたタブーならいい。国会審議を経ている
 全部のタブーが自主規制
 そんなに言っちゃいけないことだらけなのになんで人のことが言えるのか

 亡くなった方の身体の問題
 尊厳の問題がある
 簡単に出しちゃいけないと今でも思う
 それならそれで自主規制をなんとなくやっているんじゃなくて
 普段から示すべき
 こういう基準でやっているんだと示して審判を受けるべきだと

 今の質問に答えていうと
 会社がというより、ぼくたち記者の生き方の問題
 なんで記者を目指したのか

 (マスコミに)はいると大隈講堂のような巨大な責任がのしかかる
 1行で人生がなくなるひとがいくらでもいる
 その責任を生き方として考えないといけない
 いい人なのに強姦魔になった消防士とかいて
 入っていくと家族のプライバシーもある
 モラルがどれだけ重要なのか

 人のことはかけるが自分のことは関係ないという記者は多い
 人間を問いかけられる人じゃないと記者という仕事はしてはいけない
 タブーになっていることをタブーを超えてやらないといけないことがある
 死体の写真含めて

 警察官や消防官、自衛官、ほとんど機材は使わない
 ずっと手でやっていく
 いまだと生きている可能性ないじゃないですか
 でも手でがれきをどけていく
 ご遺体の尊厳を守るため。腐敗も進んでいるが
 少しでもいい状態で家族の元に反したいと

 あのおなじだけ志をもっているジャーナリストはいるのかと
 誰にもほめられないのに
 命令されたのではないのに。人間として大事にする
 そういうことは現地に行かないとわからない
 (映像に)がれきの山は映るが
 (実際の)手触りはちがう

 がれきは、多くは服がまとわりついている。ジーパンであったり、ワンピースだったり
 それを自衛官等に聞くとね
 衣装ダンスが流されてきたのかと
 いや、現場の経験から、ご遺体から脱がされた洋服ですよと
 パソコンにワンピースが絡まっているのを見ると、どのような状態だったかわかる
 それに敬意をもって、洋服に触ってみたり
 それがジャーナリズムの原点

 自分の生き方をただすのがジャーナリズムの原点というのが、日本のジャーナリズムから失われている
 ワシントンポストも綱領のようなもんがある
 アメリカも問題の多い国だが、それにも学ぶべきである

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