物資を購入後ホテルに戻ってみると、入口が閉鎖されており、ロビーで一夜を明かす、というプランもとれなくなる。周りもどんどん暗くなってきて、しかたがないので周辺で唯一明かりがついていた、新幹線の白石蔵王駅に向かう。
入口には危険なので入らないで、とも書いてあるのだけれど、中に結構人もいるので自動ドアを手動で開き、中に入る。暖房もきかず、待合室でしばらく凍えつつ、余震のたびに外に逃げようとする→おさまって戻る、を何度か繰り返す。
しばらくすると、駅員さんから駅に退避している人たちへ、避難所があるので行きなさいという話がある(ということで駅にいなかったら避難所があることも分からなかったかも)。夜道がまっくらで危ないので、何人かでまとまっていくことにする。
避難所までは駅から歩いて 20分ほど。街灯も消えていたけれど、車通りが結構あったので、車のライトを頼りに歩く。途中、道が結構陥没していたり隆起していたりで、明かりがないとかなり歩きにくい。
避難所の白石市中央公民館は、思っていたよりも大きな建物。明かりがあり、風雨がしのげ、おまけにトイレで水が流れる(すぐ流れなくなりましたが)という、夢のような環境。名簿に名前を書いて、すぐに畳の部屋の一角に落ち着くことができた。
部屋にはおそらく近所から避難してきたであろう人がいっぱい(TVでよく見る体育館のようなところではありませんでした)。全員が足を延ばして寝る、というのが困難な広さだったけど、最低気温が氷点下になるような中ではむしろそれが室温という意味ではよかったのかも。
しばらくして、夕食としてバナナとロールケーキが配られる。このような保存が利かないものがどこから来たのかは謎だったが、みな大変ありがたくいただく。ただ、我々は来る前にコンビニである程度の食料を手に入れられていたこともあり、なるべく他の人にまわるよう気をつかう。
人数に対して足りなかったのが毛布。我々は5人だったのですが2枚の毛布に皆で足を突っ込んで寝ることに。枕は自分のカバン。また公民館の人が、シーツのような大きな白布を切って、足りない人に配ってくれる。これらの布団とコートにくるまって寝れば、そこまで寒くもなく(部屋にストーブもありました)。
とはいえぐっすりと眠れるわけでもなく。窮屈なのはさておき、10~20分おきに余震があり、大きな地震があるたびに誰かの携帯(しかも複数)で地震警報が鳴り響き、という環境では、流石にぐっすり眠れない。TV でよく聞く表現で言うと、「余震が続くなか避難民は不安な一夜を過ごしました」というところか。
<つづく>
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