被災時の、「通信」について書きます。
まず、地震の訪れを知らせてくれたのが携帯へのエリアメール。東京では届かなかったらしいですが、宮城ではちゃんと来ました。来るや否や揺れが来たのですが、そのおかげで震源がだいぶん近いことが想像できました(メールにも宮城沖とありました)。
揺れている途中で、白石@宮城に大地震! と(Twitter で)ツイートしました(それくらいの余裕はありました)。東北ローカルの地震だと思ったからですが、東日本全体で大揺れだったみたいなので、言われなくてもわかる、というカンジのツイートでしたね。
http://twitter.com/#!/ashi_tomo/status/46085663258447872
揺れが収まったら、ただちに東京にいる妻と(地元の)富山にいる親に、宮城にいるけど生きている、という旨連絡。妻からはしばらく返事がなかったんだけれど、いつも仕事中は返事をしてこないので、特に気にはなりませんでした。
一方、母親からはすぐ返事があったんですが、「そうか。ところで富山でもバスでICカードが使えるようになったぞ」みたいな、やたら能天気な内容。どうも外出していてしばらく地震があったことを知らなかったらしく、あとから変なメールを送ってすまんかった、という謝罪が来ました。やれやれ。
東京では地震直後から携帯がほぼ不通になったという話も聞いたんだけれど、白石では結構通じました。iモードでその晩のホテルを取ったり(取ったけど閉鎖して泊まれなかった)、東京にいる上司からの連絡を受けて生存を報告したりできました(そこで東京も結構揺れたことを知った)。
地震後TVが見られない中、情報を得る主な手段が Twitter。情報を取る以上に、人々とつながっているというカンジが避難生活における精神的支えになったのかもしれません。しかしあれだけツイートがとびかって、よくサーバが落ちませんでしたね。えらいぞ Twitter。
また情報を取るだけではなく、発信も行っていました。発信と言っても、避難所や街の様子を伝えるくらいなのですが、数人の実家が白石でという方のお役に多少なりともたてたようで、そこはよかったですね(あまり避難所から緊急通報以外のツイートをするような人も多くないのかもしれません)。
Twitter はガラケー(FOMA)でやっていましたが、問題になるのが電池。停電していて充電は困難なのですが、出張のため運よくノートPC を持っており、この PC の USB と FOMA をつなぎちょびちょび充電して延命させることができました。また避難所の発電機から充電することもできたのですが、残りの燃料の量が分からないのでちょっと気が引けましたね。
記事に書いたとおり、タクシーで帰ることになったきっかけも会社の執行役員からのメールなので、携帯のおかげで何とか帰ることができたといっても過言ではない状況なのですが、やはりネックは電池ですね。一度充電すれば半月くらいはもつようなソリューション、こういったものが求められている気がします(燃料電池、なのかなぁ……)。
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