今回の震災や原発事故において、さまざまな人たちの活動に賞賛が集まり、またその一方さまざまな人たちの言動に批判が集まっている。
賞賛されているのは、例えばこういう人たちである。
-自衛隊員、各国救援隊
-レスキュー隊員(消防士)、機動隊(警察官)
-東電・関係会社スタッフ
被災地での自衛隊による救援活動(3/26現在で自衛隊員が救出した被災者は 19,000人超 *1)や、原発事故に命がけで対処するレスキュー隊などの活動における「プロの仕事」に対し、国民は感嘆・感動し、惜しみない拍手を送っているのである。
その一方、非難が集中している人たちがいる。
-菅内閣総理大臣
-東電マネジメント層(清水社長以下)
-石原都知事
都知事は「天罰」発言(*2)が批判の的となった。また、菅総理や東電社長などは、原発の震災や津波に対するリスクマネジメントや、事件後の対応などについて批判が集中しており(*3)、また情報を隠蔽しているのではないか(*4)、などと懐疑的な視線を浴びている。
これだけみると、どうも震災に関わる組織のトップは批判を浴び、現場スタッフは賞賛を浴びる(例えば自衛隊のトップは総理大臣)、という傾向があるように見える。もちろん関連するすべての組織においてそういう構図になっているわけではないが、そのような傾向は何に起因するのであろうか。
その仮説としては、まずスタッフが賞賛されるのは、ひとまず「(日本)組織の現場力の高さ」といってよいのではなかろうか。ここから「現場力の高さの根源は何か」、「維持するにはどうすればよいか」、「どうすればその強みがさらに活きるか」などの議論がその先にあろう(もちろん、本当に力があるのか、という議論もあろう)。一方、非難される方は、さまざまなことが考えられる。
い)非常時に完全な対応はとりにくく、そしてえてしてトップが非難されがちである
ろ)日本組織のスタッフの現場力が非常に優れている分マネジメントが弱く見える
は)日本組織のトップはいざというとき責任を取ろうとしない傾向が強い
に)原発(など)の危機管理マネジメントが不十分である
ほ)内閣も東電も、現在のトップがたまたまリーダーシップに欠けている
へ)原発は大きな利権が絡むため、国民の安全のためだけの判断が行われにくい
と)東電は株式会社であるので、国民の利益よりも株主の利益を最大化にするマネジメント判断が行われやすい
(い)(ろ)は、ある意味しょうがない、というもの。もちろんしょうがないと言ってしまった瞬間、そこに進歩はなくなるが。(は)はもしかしたら国民性にもかかわる根の深い問題。とはいえトップ全員が責任を取らない人だらけというわけでもないと思うので、当然改善していく余地はあるかと。
(に)は技術か知識か想像力か意識かなにかの不足。不足は事件の教訓で補っていくしかないかと。但し、不足していたと認識していたかどうかが重要。認識して補っていなかったのは大問題ですが、一方認識していなかった場合、今後も(想定外の何かによって)同じことが起こる可能性があるということ。
(ほ)は、総理は有権者の問題、東電は、ガバナンスの問題か。あっさり言うと、それぞれもっとちゃんとした人を選ぶようにしよう(か、選べる仕組みを作るようにするか)、ということか。もちろん「ちゃんとした人」が選択肢にある前提だが。
(へ)(と)は業界の構造というか、お金の流れに起因する話。いちばん簡単に修正できそうで、実は一番難しいところかも。こういう状況を作ってしまうのも、直すことができるのも政治の力だと思うので、結局は有権者の問題にもなってくるのだけれど。
もちろん(い)~(と)で現状すべてを説明し切れているとは思わないけれど、要員の一部として実は国民性だったり、有権者の行動に関わる部分もあるとすると、我々も他人ごととして眺めているわけにはいかないのだな、と思う次第。この話はちゃんと書いていくと論文一本あるいは本一冊くらいの長さになっちゃいそうだけれど、取りあえずここではこのくらいで。
【注釈】
*1:平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する自衛隊の活動状況(11時00分現在)(防衛省)
http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/03/26a.html
*2:国民全体の罪だ…石原知事「天罰」発言(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110326-OYT1T00223.htm
*3:西岡参院議長が東電社長に不快感 「姿見せず非常に不可思議」(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110324/plc11032422110024-n1.htm
*4:東電・隠ぺい体質 異常事態、なおも矮小化(北日本新聞)
http://webun.jp/news/A100/knpnews/20110317/35372
追加 賞賛:プロ野球選手会(現場)、非難:巨人フロント(マネジメント)、というのもありましたね。
返信削除私は以下のように考えます。
返信削除◆トップマネジメントについて
日本には、『異民族の侵略』という恐怖がもともと存在しない。
戦国時代が終わった後は、長く平和な時代が続いた。
よって、このような状況下で要求されるリーダーの資質は、農作業という共同作業を円滑にして、農村を平和に運営する能力です。すなわち、【平時において『和』をもたらすことのできる人物】です。
一方で、異民族の侵略に怯える民族であれば、『危機のときに指導力を発揮できる人物』がリーダーの選定基準となり、狩猟民族のように移動しながら生活を営む民族であれば、『集団を正しい方向に導くことのできる人物』が選定基準となります。
だから、リーダーとして、【平時において『和』をもたらすことのできる人物】を選定しているのだから、【リーダーが危機のときに活躍しない】のは、当然のように思われる。
<菅直人がどのような理由で総理に選ばれたかはともかく、「日本人が危機のときに活躍する人物をリーダーに選ぶ」ことが苦手なことは確かなような気がする>
また、【平和な農村の構成員】に求められることは、「毎年、やることが決まっているのだから、やるべきことをきっちりやる」ことが求められる。親は子供に「やるべきことをきっちりやれ」と教えるし、結婚相手を選ぶときは、「やるべきことをきっちりやる人」を選んだだろう。
◆結論
・なぜ危機のとき、リーダーは無能なのか?
→そもそも「危機のときに活躍する人物をリーダーに選んでいない」から。
・なぜ、日本人は現場で頑張るのか?
→日本の風土が「やるべきことをきっちりやる人間」という基準で自然淘汰したから。
原発の危機マネジメントについても思うところはありますが、それはまた後日、書きます。
コメントありがとうございます。
返信削除確かに選挙で、「誰だったら国家、国体、国土を守ってくれるか」という視点ではなかなか投票しないですよね。
ただ石原都知事とか、小泉元総理とか、「あまり和をもたらさない」リーダーも選ばれることもあるわけですので、そういう意味では、たまたま、という要素もあるのではないでしょうか。