2011-03-16

宮城で地震にあいました その3

 うとうと→余震で起きる→うとうと→余震で起きるを何度か繰り返し、朝が来る。絶望的な被害が明確になりゆく第一日目でもあり、復興へ向けた第一日目の、その朝。

 なんと、新聞が届いている。毎日とスポニチと河北新報(ローカル紙)。避難所に積んであって、おひとりさま一部どうぞ、とある。昨日の今日で紙面を作るのも刷るのも持ってくるのもすごいな。これがジャーナリスト魂か。

 TV を見ていなかったので、新聞で被害の様子を知る。写真が訴えかけてくる圧倒的なイメージのパワーにおののく。ありえないようなことが起こり、自分がその当事者として末席を汚していることが上手く自我の中で整理されない。ボクハナゼココニイルノカ?

 外には給水車が来ている。こちらの対応も迅速。あっという間にポリタンクを持った市民の行列ができて、避難所にいない人もたくさんいるのだということを知る。そして、わが家にはこのようなときに水を運ぶタンクがないということに気づく(NHKで、段ボールにポリ袋を入れたものでも水を運べるよ、といっていましたが)。

 朝ごはんは、バナナと、カップラーメン。電気も水道もガスも来ない中お湯があることに驚く。どうもプロパンガスでお湯を沸かしたらしい。食べ物を持っている身としてはもらうことに躊躇したけれど、まだ食べていない人どうぞ、と勧められいただくことに。寒い中なので温かい物が非常にありがたい。

 温まった勢いで外へ出ると、公衆電話に行列ができている。どうも通話ができるようだ。しばらく列に並び、妻と親に電話する。メールでは連絡がとれていたのだけれど、やはりこういうときは声を聞きたくなるもの。まぁいずれ帰るから、家をよろしくね、と妻に言い残す。

 お昼には、今度はおにぎり1つとお味噌汁とおまんじゅうをいただく。おお、まさか白米まであるとは。なんともありがたい話(その後数日たち、追加の食料などが届けられたのかどうかは分からないのですが、お世話になっていたときはこのようなメニューでした)。

 その後、同じ会社の人と、どうやって東京に帰るのか、という会議。候補としては以下の通り。

 1. 新幹線の開通を待つ
 2. 在来線の開通を待つ
 3. 山形までタクシーで行って、飛行機
 4. 仙台までタクシーで行って、長距離バス
 5. レンタカーを借りる
 6. タクシーで東京まで

 色々と皆で手分けして調査した結果、1. 新幹線は、仙台駅で新幹線が脱輪という報道もあり、当分復旧の気配がない。2. も、在来線の駅に行ってみると立ち入り禁止となっていて、どうにも復旧にむけて進んでいる様子がない。3. も、飛んではいたようなのだけれど、1日1便のようで、予約できるかも次の日飛ぶかもわからないので高リスク。

 4. のバスは、楽天トラベルで調べると一応検索結果として空席が出てくるのだけれど、本当に走っているのかもわからないし、仙台行くのにも相当時間がかかるという話もあり、却下。そこで 5. レンタカーということで、白石、福島、郡山のレンタカー会社に公衆電話から電話をしまくったのだけれど、つながらないとろか、貸し出す車がない、というところばかりで借りられず(トヨタレンタリースだけ、サーバがダウンして貸せないと言われました)。

 そんな中、前日に同時に白石で被災した会社の執行役員の人が、お客さん連れだったこともあり、タクシーで帰郷したという情報があったので、メールで確認してみると、半日くらいかかった、という話で、そして(聞いたわけじゃないんだけれど)タクシーで帰るなら代金は会社につけてよいよ、と言われる。

 このメールをみなに見せると、よっしゃよっしゃ、ではタクシーだ、ということで、営業のグループマネージャが持ち前の交渉力を武器に、タクシーがたまっているところに東京まで行ってくれる車を探しに行くことに。


<つづく>

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